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【観光の下見にどうぞ!】崇徳上皇(元天皇)のお墓である御陵や御廟に行ってみた♪

記事の表紙タイトルで崇徳天皇御廟と白峰陵

今回は崇徳天皇御廟所(ごびょうしょ)と白峰陵(しらみねのみささぎ)をメインに紹介していきたいと思います。

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
悲運の人生を遂げた崇徳上皇(元天皇)のお墓になりますね

崇徳天皇の御廟や御陵を観光で見に行く前に・・

  • 事前に知識を頭に入れておきたい
  • どんな外観・雰囲気か?わざわざ行く価値があるのか見ておきたい
  • それらがどこにあるのか場所が知りたい

などなど・・こういった観光目的についてもそうですが、ただ歴史を勉強したいっていう人にも参考になる記事内容となってますのでぜひ一読下さい。

 

崇徳天皇御廟所と御陵は人通りが少ない場所にひっそりと建っています。静かにゆっくりと鑑賞ができて、歴史的な価値と安らぎを感じることができます。

 

記事では実際に行って撮影した写真を多く記載してますので、建造物の外観や雰囲気がバッチリ分かりますよ✨

もちろんあわせて建物の歴史的な背景もしっかり説明してますので、理解が深まること間違いなしです。

 

それでは早速本文にいってみましょう。

崇徳上皇(元天皇)の御廟について

崇徳天皇御廟

まずは京都の祇園にある『崇徳天皇御廟』になります。

崇徳上皇は結局、京へ戻ることなく流刑先の讃岐国で無念の死を遂げることになります。その後、傍で仕えていた阿波内侍(あわのないし)が遺髪を譲り受けて、この地に塚を築き崇徳の御霊を慰めたと言われています。※崇徳上皇の亡骸は次章で紹介する香川県にある白峯陵で奉葬されました

崇徳天皇御廟の立札

 

有名な崇徳上皇の百人一首でも詠まれている和歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」が書かれています。

歌の魔術師崇徳上皇(元天皇)!百人一首の和歌を含めた多く作品から選りすぐりを紹介♪

崇徳天皇御廟の説明書き

 

中には入れませんが、扉の隙間から崇徳天皇御廟所と彫られた石碑が建っているのが見えます。

崇徳天皇御廟の中

 

この崇徳上皇を霊を慰める御廟所は実は他にもありました。御影堂や粟田宮がそうでしたが今はもう存在しておらず残っているのはここだけになります。

ちなみにこの崇徳天皇御廟所はスポーツの守護神で知られる白峯神宮が管理しています。この神社も崇徳上皇に深く関わっていますのでよろしければ一読してみて下さい☟

崇徳上皇の霊を慰める為に孝明天皇と明治天皇が建てた白峯神宮とは?

 

あとこの御廟所と白峰神社は、結構離れて建ってますので注意して下さい。

旦那(チャン太郎)
旦那(チャン太郎)
距離にして5km以上ありますので、徒歩だとマジで厳しいです。車か公共交通機関を使いましょう

 

崇徳天皇御廟所の住所:京都府京都市東山区祇園町南側

 

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
祇園を訪れた際にブラっと寄ってみましょう♪

 

崇徳上皇(元天皇)の御陵について

崇徳上皇のお墓である白峯陵

次に崇徳上皇のお墓『白峯陵(しらみねのみささぎ)』になります。

この御陵、四国88箇所の第81番札所白峯寺と同じ場所にあります。白峯寺の案内図を見ますとこんな感じです。

白峯寺の地図

崇徳上皇は京に戻ることなく讃岐の地で亡くなりました。そして遺言に従って白峰山にある稚児ヶ嶽(ちがたけ)で遺体を火葬し、その地に白峯陵を建てることになりました。

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
なぜ稚児ヶ嶽を選んだのかは分かりませんが、これは崇徳上皇が生前に遺した最後の願いだったみたいです

 

長い階段を上っていった先に白峯陵があります。

白峯陵に行く長い階段

さすが四国唯一の天皇陵になります。当たり前ですがしっかり整備されており、静かですごく雰囲気のある場所です。

白峯陵全体図

都から遠く離れた場所にある天皇陵はこの白峯陵と、山口県下関にある安徳天皇陵、兵庫県淡路島にある淳仁天皇陵の3箇所だけになります。

都から遠く離れたところ建っているということは、つまり戦いに敗れて遠方に追いやられその地で生涯を終えたということです。

しかもこの3人に共通しているのが本人が悪いというより、他人からの巻き込まれで不運な境遇に陥ってます。

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
その中でも崇徳上皇は産声をあげた瞬間から不運が確定してました。それは不倫で産まれた子供だったから・・

そして孝明天皇と明治天皇は崇徳上皇の霊を慰めるために、京都に崇徳上皇の神霊をこの白峯陵から迎え入れたとされます。興味がある方はコチラから☟

昭和天皇と明治天皇はなぜ勅使まで出して崇徳上皇(元天皇)の御霊を安らげようとしたの?

 

今回は先に白峯陵に行きましたが、おすすめとしては青海神社 → 西行法師の道 → 白峯陵の順に訪れるのが最強だと思います。

 

青海神社(あおみじんじゃ)ですが煙ノ宮(けむりのみや)とも呼ばれています。白峰山で崇徳上皇は火葬されましたが、出た煙が山の麓のこの場所に集まって動かなくなったと言われています。

青海神社の石碑

せっかくなのでお参りをしておきましょう。

青海神社の本殿
青海神社の本殿に近づく

 

そしてこの青海神社から、西行法の道という白峯陵までの参拝道がありますのでここを通っていきます。1.34kmほどの距離が散歩がてらに丁度いいです。

西行法師の道入口

この西行法師の道ですが、実際に西行法師が白峯陵へ慰霊に行くのに通った道になります。

道沿いには西行法師と崇徳上皇が詠んだ歌を刻んだ石碑が88基、燈籠が93基あり道中飽きることがないです。

歌の魔術師崇徳上皇(元天皇)!百人一首の和歌を含めた多く作品から選りすぐりを紹介♪

2人は歳が近く、和歌に通じていたこともありすごく仲がよかったです。崇徳が讃岐国に流されると西行は悲しみ、多くの慰めの歌を送りました。

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
西行は白峯陵に行って崇徳の霊と会話をしたという逸話が残ってます。途中口喧嘩になったらしいです、それだけお互い打ち解け合っていました(笑)

 

ぜひ白峯陵、またその近くにある青海神社や西行法師の道にもいってみましょう♪

住所:香川県坂出市青海町字御山2677

 

 

まとめ:京都&香川を訪れた際は崇徳上皇(元天皇)のお墓に立ち寄ってみよう

今回は京都の祇園にある崇徳上皇(元天皇)の遺髪がおさめられている『崇徳天皇御廟』、もう1つは亡骸を火葬した香川にある『白峯陵』をご紹介してきました。

崇徳上皇が眠っている場所だけあって、静かで上品な雰囲気が漂ってました。人通りが多いところから少し離れていたのでじっくりと観光することができて満足です。

白峯陵に関してはせっかくなので、青海神社(煙ノ宮) → 西行法師の道 → 白峯陵の順番で参拝することをおすすめいたします。

青海神社は崇徳上皇の亡骸を火葬した際の煙が集まった神秘的な場所で、西行法師の道は大親友の西行が白峯陵に慰霊に行く際に実際通った道になります。

嫁(チャン子)
嫁(チャン子)
両方とも外すことができません♪

 

御廟は京都で、御陵は香川ということで少し離れてはいますが、興味のある方はぜひ一度足を運んでみて下さい。

それでは最後までお読み下さりありがとうございました<(_ _)>

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