今回は崇徳上皇(元天皇)にゆかりのある神社とお寺について、一挙紹介していきたいと思います。
- 崇徳上皇の御霊が祀られている神社やお寺に興味がある
- 観光で行くのに神社やお寺の下調べをしておきたい
- 参拝すればどんなご利益を得られるのか知りたい
などなど・・
こういった方におすすめ記事内容となってます。
崇徳上皇ゆかりの神社やお寺は、香川県や京都を中心に点在しています。中には嫌な人と縁切りができたりと、ご利益を得られる場所があります。
この記事では撮影した写真を多く載せてますので、リアルに行った気分になれますよ。また建てられた背景もしっかりまとめてありますので、訪れる前に予備知識として頭に入れておいた方が絶対楽しめる♪
それでは早速本文にいってみましょう。
崇徳上皇(元天皇)にまつわる歴史ある神社
まず崇徳上皇にゆかりのある代表的な神社を4つ紹介したいと思います。
では1つ1つ順番に解説していきますね。
崇徳上皇(元天皇)ゆかりの縁切りで有名な安井金比羅宮
飛鳥時代に藤原鎌足が、「家族の幸せと繁栄、そしてそれが未来の世代にも引き継がれること」を願い建てたものになります。
ここには紫色の藤がたくさんあったことから藤寺とも言われてました。
崇徳上皇はこの藤が大好きで、建物を修造して妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわせていました。
その後…後白河法皇の命令で建てられた光明院観勝寺が、今の安井金比羅宮の起源となってます。守り神としては崇徳天皇、源頼政公、大物主神(讃岐の金刀比羅宮より移した神様)が祀られています。
主祭神である崇徳天皇は讃岐国の金刀比羅宮で修行を積み、全ての欲望を断ち切ったことから、安井金比羅宮は古くから「断ち物」の祈願所として有名です。
また保元の乱の敗北より阿波内侍と別れざるを得なかった崇徳天皇は、その悲しみを人々が経験しないように、幸せな男女の縁を阻む全ての悪縁を断ち切ってくれると言われています。
ということでさっそく入口の鳥居をくぐってしばらく石畳を上を歩いて行きます。
そうすると拝殿が見えてきます。
拝殿をくぐるとようやく本殿に到着。御祈願の手順としては、メインの縁切り縁結び碑(いし)に行く前にここで参拝します。
そしていよいよ縁切り縁結び碑です。ネットや雑誌では見たことありましたが、生で見るのは初めてで感動です✨
何だこれはものすごいお札の数です💦お札の上にさらにお札が貼られ、なんか変わった生き物に見えてきます。伝わるかなぁ、ぜひ現物を見に行って欲しい!
高さは私の身長175㎝よりは低いので150㎝ぐらいで、幅はその倍の300㎝ぐらいはありそうです。絵馬の形をしていて、人が1人通れるぐらいの丸い穴が中央にあります。
なのでこの穴をくぐると「誰かと結ばれる」「誰かと縁を切る」こういった願いがかなうらしい。強力なので注意した方がいいみたいです・・私は現状維持でOKだったので祈願はしませんでしたが💦
みなさんの書かれたお札の内容がすごく生々しくて、その本気度が伝わってきます。
それではせっかくなので御祈願の方法について少し解説しておきます。
まず形代(かたしろ)という碑に貼るお札を、100円程度の賽銭を入れゲットします。お札に願い事を書きましょう。
お札を持って願い事を念じながら、まず表から裏にくぐって悪縁を断ち切ります。
そして次に裏から表にくぐって良縁を結びます。
最後に碑にお札を貼って完了!
穴は直径50㎝あり、単純計算でウエスト157㎝(余裕をもって140㎝ぐらい?)の方までくぐれます。
でもスカートを履いていたり、長蛇の列を並ぶのが億劫な人は願い事を書いて碑に貼るだけでも大丈夫とのです。
- 住所:京都市東山区下弁天町70
- 電話:075-561-5127
- 駐車場有
崇徳上皇(元天皇)の御霊を京都へ移された際に建てられた白峯神宮(神社)
京都にある白峯神宮(しらみねじんぐう)になります。※もともとは白峯宮で後に昇格し神宮の号となる
これは異郷の讃岐国に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるために、その御霊を京都に移すように孝明天皇が命じたのをきっかけで建てられました。
崇徳上皇が非業の死を遂げたことで、その後に起きた天変地異が上皇の祟りとされ日本三大怨霊の1人と言われたことから、国家安泰にとっても重要であったと言われています。
でもありえないことに、白峯宮の建設が始まってすぐに孝明天皇は亡くなってしまいました。
遺志を継いだのが次の明治天皇で、無事に白峯宮(後に神宮)を完成させ、崇徳上皇の御霊を讃岐にある白峯陵から京都に移すことができました。
昭和天皇と明治天皇はなぜ勅使まで出して崇徳上皇(元天皇)の御霊を安らげようとしたの?
それではさっそく境内をみていきましょう。まず入口の門をくぐっていきます。
進んでいくと立派な拝殿が見えてきます。
拝殿を通っていくといよいよ本殿になります。賽銭箱の両端に大きな金色の鞠の形をした鈴が置いてあります。
お賽銭を入れたあと、鈴を持ち上げて鳴らすと願いが叶うとされています。右側の鈴が軽く、左側の鈴が重たい仕様となっていますので自分にあった方を選びましょう。
サッカーをはじめとする球技全般およびスポーツにご利益があると言われています。それは白峯神宮が、蹴鞠の伝統文化を伝えてきた飛鳥井家屋敷の跡地にあったからです。
蹴鞠の碑があります。碑に埋められた鞠はくるくる回る仕組みになっていておもしろい♪
崇徳上皇が読んだ1番有名な和歌「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」が石碑に刻まれています。
歌の魔術師崇徳上皇(元天皇)!百人一首の和歌を含めた多く作品から選りすぐりを紹介♪
- 住所:京都府京都市上京区飛鳥井町261
- 電話:075-441-3810
- 駐車場有
崇徳上皇(元天皇)が亡くなるまで6年間暮らされた鼓岡神社
崇徳上皇が保元の乱に敗れて現香川県の讃岐国に流されますが、亡くなるまで最後の6年間を過ごされた場所が鼓岡(つづみがおか)神社になります。
入口には大きな石碑が建ってます。早速階段の登って境内に入っていきましょう。
まず1番最初に目にするのが擬古堂です。これは崇徳上皇750年大祭の際に記念して造られた建物になります。
崇徳上皇が当時住んでいた木の丸殿の雰囲気に似せて造った建物みたいです。
でも実際はこれよりも酷かったらしく、加工もされていない木の丸太で造られ、大きさもこの4分1程度と超粗朴な建物であったと言われています。
ここで崇徳上皇は1日中部屋にこもり、書物を読んだり写経をしたりしていました。そして3年がかりで一生懸命書いた写経を、後白河天皇に送りますが突き返されてしまいます。
これに激怒した崇徳は食事をあまりとらず、髪と爪は伸ばし放題で朝廷(後白河)を恨みながら死んでいったと言われています。
この後災いが後白河の周りで頻繁に起こるようになります。しかもそれは始まりに過ぎず、何百年と朝廷に災いを降り注ぐことに・・詳しくはコチラ☟
優しい崇徳上皇(元天皇)を怨霊に変えた!日本三大怨霊の1つとされる所以は?
擬古堂を通り過ぎていくと、鼓岡神社の鳥居があります。
鳥居をくぐると階段があり登っていくと本殿があります。しっかり手を合わせておきましょう。
鼓岡神社の境内自体はそんなに大きくなく、こじんまりとしている感じです。崇徳上皇が一切の欲を断ち、ひたすら写経(仏事)に専念していたのがリアルに伝わってきます。
〒762-0024 香川県坂出市府中町乙5116
崇徳上皇(元天皇)の棺をもって休憩に立ち寄った高家神社
高家(たかや)神社は崇徳上皇の遺体を白峰山に運ぶ途中、休息の際に立ち寄った神社になります。
まず入口にある鳥居をくぐって入っていきます。血の宮とかかれた石碑がすごく気になるところです。ちなみに高家神社は血の宮とも呼ばれています。
その奥が本殿になります。そして本殿のすぐ横に階段があり登っていくと、何やら柵に囲まれた中に石が置いてあります。
実はこれが伝説となっている石です。
崇徳上皇の遺体を運んでいる際に突然雨が降り出したので、石の上に棺を置いて止むのを待っていました。
しばらくすると棺からなんと血が流れ始めました。これが「血の宮」と呼ばれている所以になります。
住所:香川県坂出市高屋町878番地
電話:0877-47-2759
崇徳上皇(元天皇)にまつわる歴史ある寺
崇徳上皇(元天皇)に関する神社があればお寺もあります。
歴史あるお寺を順番に紹介していきましょう。
崇徳天皇陵のある白峯寺
崇徳天皇(上皇)にまつわるお寺をまず挙げるなら『白峯寺(しろみねじ)』でしょう。四国88箇所なら第81番札所にあたるところです。
空海や円珍によって建てられました。鎮守白峯大権現(しろみねだいこんげん)が開運招福・商売繁盛・勝負事の神様として、崇徳天皇が悪縁断ち・芸能成就・学業成就の神としてこの地に祀られています。
今回は崇徳天皇のお墓『白峯陵(しらみねのみささぎ)』と、崇徳天皇が祀られる『頓証寺殿(とんしょうじでん)』の紹介がメインになります。
七棟門から入って、折角なので本堂を経由してからいきましょう。
まず入口の七棟門で、第81番札所白峯寺と看板が掲げられています。
一番上まで階段を登り切った場所に白峯寺の本殿があります。千手観音像が祀られています。
次は今回メインの崇徳天皇が祀られている頓証寺殿になります。後鳥羽天皇が慰霊をするために白峯陵の近くに建てました。
その後崇徳上皇の成仏を願い、後小松天皇が自筆で頓證寺と書かれた寺額を奉納し頓証寺殿となりました。
建物自体は高松藩主松平頼重と頼常により再建されています。
そしてこの建物のすぐ裏に、崇徳天皇のお墓『白峯陵(白峯御陵)』が建っております。この広い四国でも唯一の天皇陵になります。
天皇陵は京都に造られることがほとんどなので、離れたところにあるのは大変めずらしいです。お墓についてまとめた別記事もぜひ一読を☟
【観光の下見にどうぞ!】崇徳上皇(元天皇)のお墓である御陵や御廟に行ってみた♪
- 住所:香川県坂出市青海町2635番地
- 電話:0877-47-0305
- 駐車場有
崇徳天皇を祀っていた白峰宮の別当寺だった天皇寺(高照院)
次に紹介するのは天皇寺(高照院)になります。白峰宮の別当寺ということで、白峰宮のすぐ横にあります。※別当寺は神社を管理する為に置かれたお寺
四国88箇所の79番札所になります。
天皇寺ですが奈良時代に行基によって建てられ、その後平安時代に空海(弘法大師)によって再興されました。
もともと摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいんみょうじょうじゅじ)でしたが、後嵯峨天皇が崇徳院供養の役割を担うお寺としてからは『天皇寺』と呼ばれるようになりました。
白峰宮の方はと言いますと、亡くなった崇徳上皇を供養するために二条天皇が『崇徳天皇社』として建てたことがはじまりです。
江戸時代には「崇徳天皇明の宮(あかりのみや)」と呼ばれたり、また「天皇さん」と呼ばれたりしました。
その後明治天皇により崇徳院の御霊は京都白峯神宮(旧白峯宮)へ戻され、崇徳天皇社は崇徳上皇を祀るのが廃止になり『白峰宮』と名称が変更となりました。
昭和天皇と明治天皇はなぜ勅使まで出して崇徳上皇(元天皇)の御霊を安らげようとしたの?
別当である天皇寺も役割を終えて廃寺となってしまいます。そして寺は近くにあった奇香山仏乗寺高照院が引き継ぐことになり、現在地に「天皇寺高照院」として移転してきました。
興味が湧いた方はぜひ一度行ってみて下さい(‘ω’)ノ
- 住所:香川県坂出市西庄町天皇1713-2
- 電話:0877-46-3508
- 駐車場:有
まとめ:崇徳上皇にゆかりのある神社やお寺を探索してみよう
それではみなさま参拝お疲れさまでした。
崇徳上皇にゆかりのある神社とお寺を全て紹介してきましたので、なかなかのボリュームになってしまいました。
ホントはもっと詳しくお伝えしたかったのですが・・余裕で数万文字いきそうだったので断念。
それとやっぱり現地まで足を運んでもらうのが一番だと思いますので、この記事では行く前に最低限知っておきたいポイントの説明だけにしてます。
- 現物を見ながら歴史を感じる
- パンフレットや案内ボードの説明を読み知識を深める
- いろんな角度から動画や写真を撮って楽しむ
では今回はこの辺で、最後まで読んで下さりありがとうございました<(_ _)>