今回は学校ではまず教えてくれない『逆輿(さかごし)流罪』について解説していきたいと思います。
こういった方はぜひ記事を読み進めてみて下さい。
結論からいいますと『逆輿』は、流刑先まで搬送方向とは逆に向きで運ばれる罪人ならではの移送方法になります。
この記事では逆輿流罪について、図解や実際に執行された例を挙げて解説していきますのでバッチリ分かりますよ♪
それでは早速本文にいってみましょう。
逆輿(さかごし)流罪とは?
逆輿流罪とは進行方向とは逆向きに罪人を輿に乗せて、流刑先まで移送する方法を言います。上記写真のように緑の進行方向矢印と逆向きに乗るイメージ。
天皇や上皇など身分が高い人がこの方法で移送されます。
また乗せる輿ですが豪華な物から簡素なものまであります。いくら身分が高くても罪人なので、簡素なつくりの塵取輿で移送されるパターンもあったと思います。
軽く輿の種類を説明しておきますと・・
塵取輿(ちりとりごし)は屋形がなく、乗る台座だけの簡易な輿です。簡素なだけに機能性は高い。病人や戦場では武士を乗せたりしてました。
四方輿(しほうごし)は輿の一種で、台の四方に柱を立てて屋根を載せ簾を垂らした仕様になります。上皇、摂関、公卿等が遠出をする時に用いました。
網代輿(あじろごし)も同じく身分が高い人が乗ってました。
次の章では逆輿流罪はどんなものなのか?実際に刑が執行された例を挙げて解説していきます。
後鳥羽上皇の逆輿流罪
時代としては平安末期から鎌倉初期で、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終回で隠岐に島流しにあう後鳥羽上皇になります。※肖像権が絡みますのであくまでイメージイラストとしてます
簡素な塵取輿に乗せられ進行方向と逆向きに座らされて移送される、いわゆる逆輿流罪ですね。
これまで冷静だった後鳥羽上皇が、大声をあげて『いやじゃ、いやじゃ』と嫌がるシーンが情けなくて印象的でした(笑
こうなったのは後鳥羽上皇が、北条義時の鎌倉幕府を倒すために起こした承久の乱で敗北したからになります。それで隠岐に配流されることに・・
承久の乱に幕府が勝利したのは、尼将軍といわれる北条政子の存在が大きかったとされています。北条義時の姉であり源頼朝の正妻ですね。
政子は御家人たちに幕府の恩を説いて団結をさせ、多くの御家人を都に向かわせて幕府の勝利に貢献しました。
まとめ:罪人でも輿に乗れる天皇・上皇クラスが対象
『逆輿流罪』について今回は徹底解説してきました。
罪人でも輿に乗れる天皇や上皇など、身分の高い人物が対象となってくる流刑先への移送方法になります。
逆輿という刑の名称ではありませんので注意して下さい。あくまで移送になります。
もっと色々詳しく書きたかったのですが、逆輿流罪自体がマニアックでなかなか文献やサイト情報が乏しく残念です。
最新のchat gpt4で調べてもこのような回答です。
「逆輿流罪」は「ぎゃくよるざい」と読みます。逆輿流罪とは、古代日本において、地図を逆さまにして見ることを禁じられた罪のことを指します。
なんか無茶苦茶な回答ですね。これは無視しましょう
それでは最後までお読み下さりありがとうございました<(_ _)>
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