今回はなぜ昭和天皇と明治天皇が、香川県の白峯陵(崇徳上皇のお墓)に勅使まで出して御霊を慰めようとしたのか?? 徹底解説していきたいと思います。
多くの人はこう思うのではないでしょうか・・
先に結論をいっちゃいますとそれは
- 天皇(朝廷)は崇徳上皇の怨霊と和解をしたかった。(天皇中心ではなく武家政権が続いているのは怨霊に呪いをかけられていると信じていたから)
- 百年ごとに国家に動乱が起こっていた。(それが崇徳上皇の怨霊のせいであると考えられていたから)
天皇がわざわざ香川県坂出市に勅使を出すぐらいです。それほど崇徳上皇の天皇(朝廷)への恨みは凄まじかったと想像できます。
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実際に崇徳上皇を怨霊と化すまで怒らした、後白河法皇の身の回りでどういったことが起きたかと言いますと・・
近親が次々と死に、さらに平清盛に政権を奪われ、突如起こった「安元の大火」により京都の街のおよそ3分の1が焼かれてしまいました。
こういった崇徳上皇の怨霊と和解するために、昭和天皇と明治天皇がいかに努力をされてきたのか記事を読めばバッチリ分かりますよ。
それでは早速本文にいってみましょう。
なぜ昭和天皇は崇徳天皇御陵に勅使を出して式年祭を行ったのか?
東京オリンピックが開催された1964年に、香川県坂出市にある崇徳上皇のお墓「白峯陵(しらみねのみささぎ)」で800年式年祭が執り行われました。
崇徳は保元の乱で敗れた後、天皇や上皇クラスではなんと400年ぶりとなる島流しの刑にされ、流刑先でも酷い扱いを後白河法皇(朝廷)から受けます。
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こういったことから深い恨みを抱き、天下滅亡の呪いの言葉を書き残して亡くなっていきました。
その後大変なことが起きてしまいます、それが・・
- 後白河法皇の近親が次々に亡くなる
- 平清盛に政権を奪われる
- 京都の街が火事により大半が燃える
他にも平清盛を倒そうと密談していたことがバレて、後白河の近臣が大半捕まり死罪や島流しになりました。
これらは崇徳上皇の呪いとされ、その他にも近代に至るまで100年ごとに国家的な動乱が実際に起こっています。
なのでちょうど崇徳上の800回忌のタイミングで、124代昭和天皇は白峯陵に勅使を出して御霊を慰める式年祭を行ったわけです。
しかし1964年9月21日の式年祭を行った当日、崇徳上皇が島流しでこちらに来たばかりの頃に住んでいた雲井御所(くもいごしょ)近くの林田小学校が全焼しました。
原因不明で急に火の手があがったと言われています。
これは崇徳上皇の怨霊の仕業だと当時騒がれました。でも今までの祟りからすると、この程度で済んだのはむしろ幸いだったのかもしれません。
なぜ明治天皇は即位の際に崇徳天皇を祀る白峯神宮を建てたのか?
なぜ122代明治天皇が即位の際に、崇徳天皇を祀る白峯神宮(旧白峯宮)を京都に建てようとしたのか?
それは父である121代孝明天皇が、異郷の離れた香川県に祀られている崇徳上皇(元天皇)の霊を慰めるために、その神霊を京都に移すように命じたのがきっかけになります。
この時ちょうど国難が続いており、当時日本史上最も恐れられていた崇徳上皇の怨霊を鎮めることで国家が安定すると考えてました。
そして京都の公家飛鳥井家(くげあすかいけ)の屋敷があるところに、今の崇徳上皇の神霊を祀った白峯神宮を創建することになるのです。
ちなみに飛鳥井家は蹴鞠(けまり)の伝統を受け継いできた家系で有名です。このように今でも白峯神宮の祭祀では蹴鞠が催されています。
他にも七夕の短冊を囲んでの「小町をどり」
霊が京都に戻るのと命が引き替えになったとか、あるいは現実的な観点から暗殺説があったりと今でも謎です。
ようやくここで明治天皇が登場します。
亡くなった父の遺志を引き継ぎ、白峯神宮の創建を再開するように命じてついに白峯神宮が完成!
完成後に明治天皇は勅使を白峯陵に送り、宣旨を読みあげさせました。「京都の神宮へ崇徳上皇の神霊にお移りいただき、天皇と朝廷を末永く守っていただきたい」このような内容が宣命には書かれてました。
この時ちょうど戊辰戦争の真っ最中で、旧幕府軍と薩摩・長州を中心とした新政府軍(後の明治新政府)が激突。
崇徳上皇の怨霊は天皇(朝廷)を恨んでいるので、旧幕府軍の味方をするのをすごく恐れていたと思われます。
そして戊辰戦争に勝利し、ようやく政治権力が朝廷に戻ってくるのです。
話が戻るのですが、崇徳上皇の神霊が移された白峯神宮は現在どうなっているのかといいますと・・
蹴鞠で有名な飛鳥井家の敷地に建てられたことから、全国から球技をしている方(特にサッカーをする方)が必勝祈願に来る神社となってます。
最初こちらへ移ってきた時は怨霊がやって来ると恐れられていましたが、今ではそんな雰囲気は一切ありません。
京都には白峯神宮の他にも、崇徳上皇を鎮魂するために建てられた「崇徳天皇御廟」があります。詳細はこちら☟
まとめ:四国唯一の天皇御陵とご利益のある白峯神宮にぜひ訪れてみよう!
明治天皇により崇徳上皇の神霊が、香川の白峯陵から京都の白峯神宮に移され、ようやく朝廷が怨霊の呪縛から解放されたのではないかと思います。
孝明天皇が最初移そうとして急死したりと色々騒動がありましたが、700年ぶりにそれが実現されました。
建てられた当初恐れられていた白峯神宮は現在、サッカー(球技)の必勝祈願をする神社として各地から多くの人が参拝に来られています。
ぜひ京都の白峯神宮と、香川にある四国唯一の白峯陵を訪れてみましょう!